人生訓16−1−53 - 人生訓ブログはじめました!

 今日、既成教会では「神様が栄光の中にある審判主として、地獄へ送り、天国に送る」と言います。この世で最もかわいそうなお方が神様です。最も悲痛で身もだえしながらも光明の天地が暗黒の地獄へと落ちるかもしれないのを克服して、そこで身を持ち直し、目を開けて意識を確かにもって、死にはしたが、この子らを生き返らせようという心をもった方が神様です。創造主の能力、絶体者の力があったのでそれが可能だと考えるのであり、そうでなければおしまいなのです。

            *

 それでは神様はどのようなお方なのでしょうか。神様は本然的真の父母の立場にあるお方です。ところが真の父母となるべき神様が父母の立場を奪われてしまったので、創造理想の本然的基準にはなかったことが生じたのです。この創造的世界にはあり得ないことが生じたのに対し、創造主であられる神様は干渉することもできず、それに責任を負って消化することのできる立場にも立てないのです。

            *

  2.復帰の恨、子女を訪ねて六千年

 私たち統一教会では原罪とは何だと言っていますか。誤って愛したことです。神様の愛と神様の生命と神様の血統が連結されなければならないのに、悪魔の愛と悪魔の生命と悪魔の血統が連結されてしまったのです。アダムとエバが悪魔の生命体になって悪魔の血筋を残したので、今まで恨めしい歴史となったのです。それでは神様のように全知全能で天地を根本から創造し、すべての自主的な権限を所有しておられる方がどうして悪魔の前に、歴史を通して人間をこんな姿、このようにしたのでしょうか。ですから神はいないという結論は当然なものです。

            *

 過ぎし日にはいろいろなことがありました。悔しく、無念な内容が多くありました。私の性格では我慢できないようなことが多くありましたが、舌をかみ、カインの世界を占領しなければならなかったのです。カインの個人ではなく、カインの家庭ではありません。カインの世界を消化しなければなりませんでした。苦い、どれほど苦いことでしょうか。氷山くらいの苦いものを口に入れて、解かさなければなりません。神様を滅ぼし、人類を駄目にした億千万世怨恨の大怨讐の悪魔、この悪魔を黙って屈服させなければなりません。

            *

 堕落した人類の始祖は悪魔が父となりました。サタンの愛、サタンの生命を受けたがゆえに、救いの歴史は困難です。キリスト教では全知全能だと言う神様が、なぜ無力な神様のようになり、人類が滅びていくのに手をつけられずにいるのでしょうか。死んだ神様の立場にあるのです。人間が罪を犯したがゆえに、人間がそれを解決することのできる解放圏を備えなければ、神様は解放してやることができません。解放してやれるものならば、初めからエデンの園からアダムとエバを追放しなかったはずです。神様が思いどおりにできるのならば、エデンの園からアダムとエバを追い出しませんでした。しかし追い出さざるを得なかったのです。

            *

 神様の求める真の心をもたなければなりません。神様は真の愛を訪ねてこられます。救援摂理歴史、復帰摂理歴史の前線から探し求めてきた真の息子として、今まであかまみれになり、傷つき、悲痛な傷跡のある神様の心を大きく開いても余りある余裕満々の純潔な愛が滝の水のように流れ出て、神様が彼を抱き万事を忘れ、むしろ堕落があったことでより幸福だったと言うことのできる場はないのでしょうか。男ならば誰でもそうでなければなりません。分かりますか。

            *

 悪魔が神様に対して、「あなたの創造理想を中心として愛の絶対圏理想である真の単一氏族圏をつくるための愛の血統圏がこのように滅び、破壊状態になったにもかかわらず、今も創造理想的論理が適用されるというのですか」とあざ笑うのです。そういうとき神様は何と答えられるでしょうか。どれほど息の詰まるようなことでしょうか。本来、主人の息子となるべきであるにもかかわらず、怨讐の息子となり、抜け出そうにも抜け出すことのできない塗炭の苦しみの中に陥った人類を見つめられる神様がどれほど悲嘆にくれておられるかを、はっきりと知る既成教会の人々はいるのでしょうか。

            *

 人類の父母としてこられたのに、父母として侍ることができずに、自分のために血を流して死ぬために来たという父母がいったいいるでしょうか。愛の祝宴を催して「私の息子よ、私の娘よ、家庭よ、国よ」と、天下がすべて和合するときに一つの平和と栄光の一日をたたえるべき立場に立っている父母が、失った子に出会うべきであるのに、会ってみると、子女の手によって刃物で刺され、死んでいったとは……。考えてみてください、イエス様がどれほど悲痛か。無知な人類に向かって教えてやることのできない事情の中に埋もれた神様の心情はいかばかりであったでしょうか。

P53