葬儀用の写真とアイネクライネナハトムジーク

 ははは、友人の死に何を感じたか、愚妻が慌てて僕の写真を探してる。

 鮎釣りが大好き、岐阜の長良川で釣りをしている時に、囮屋のお兄さんに撮って戴いた秀逸の一枚。いや、二枚かな。四ツ切りとキャビネ、うーん、どちらも好いが、やはり大判はモデルがいけないだけに、葬式用は小ぶりのキャビネ版かなぁ。

 もっとも、僕は葬式嫌いなので葬式はしないでくれと頼んであるが、自作の小さな蒼い骨壺に遺髪を入れてもらい、四日か五日、店の片隅の段に焼香できる祭壇を設え、訪れた方に焼香していただけるようにするつもりなのだが、たぁだ骨壺だけでは物足りないと愚妻が五月蠅い、仕方ないのでその写真を飾ってもらおうと思うのだが、僕にとっては、只々恥晒しのような気がしないでもない。

 でもまぁいいか、死んだ者、いや、死んでゆく者が自分のことの後始末をとやかく言うのは噴飯ものだ。

 お経も聞きたくない、ははは、聞こえもしないのにそんなことを想うのは変だなぁとは解っていても、退屈「な(ごめんなさい)?お経をグダグダと流されるよりは、モーツァルトの曲でも聞いていたほうが静かに眠れそうで好い。(この辺りの表現はあやふや、死んだ者には叶わないことばかりかな)

 うーん、曲は、こんな僕に五十年も付き合ってくれた愚妻に感謝の意を込めて、「アイネクライネ」かなぁ。